海がある街の、小さな海鮮丼屋のカウンターは僕のステージ
加茂 博之さん
東京都→唐津市
- 移住種別Uターン
- 移住の時期2024年
- お仕事飲食店経営(海鮮丼の店)
- 休日の過ごし方 音楽活動
佐賀県北西部にある唐津市。隣接する玄界灘は、マリンスポーツの聖地としても、世界有数の漁場としても有名な、美しく豊かな海です。東京から、その唐津市へUターン移住するとともに海鮮丼のお店『海街丼』(うみまちどん)をオープンした加茂さん。家族や、地域住民の方々、そして移住者の仲間たちとどんな支え合いをしながら暮らしているのか、聞いてみました。
“ライフワーク”と“ライスワーク”は違うけれど、共通点もありました
-- 最初に、2024年3月にオープンしたばかりのお店のことを教えてください。
加茂博之さん(以下、加茂):唐津駅から徒歩1分の立地で『海街丼』(うみまちどん)という海鮮丼のお店をやっています。『海街丼』は東京の三軒茶屋に本店があって、その暖簾分け店舗になります。
-- ずっと飲食をやってこられたんですか?
加茂:若い時に音楽を始めました。バンドをやったり、曲をつくったり。もともとベースをやっていた妻とは、その途中で知り合いました。いわゆるシンガーソングライターとしての活動は今も続けていますが、それだけで食えるような収入にはなっていません。最初の最初、飲食店で働き始めたのは、まかないがあれば飢えることはないだろうな、と。もう、そういう理由からでしたね。
-- 生活の基盤として、飲食業を選んだというわけですね。
加茂:若い頃お世話になっていたボイストレーナーさんに、“ライフワーク”と“ライスワーク”は違う、と教えてもらいました。なるほどと思って。両方、自分にとっては大事なものです。でも飲食も、大好きになったんですよ。特に、カウンターのあるようなオープンキッチンのお店。
-- 海街丼もカウンターを挟んで、お客様の顔が見えるお店ですね。
加茂:このお店くらいの規模だと、目の前のこの方のために、お作りして差し上げている。その感覚があります。お客様の方からも、美味しかった、ありがとうと目を見て伝えていただけるので、感謝の交換と言いますか、それが心地よいのだと思います。
-- さきほど、海鮮丼をつくっていただいている時も背筋をピンと張って、さながらライブのステージに立っているような気配がありました。
加茂:音楽とまったく同じで、目の前にいる人のために歌って、その日その瞬間、お互いのエネルギーを交換しているような気がします。私が働いている姿を見て妻は「神聖な感じがする」と言ってくれますし、山本寛斎さん(※)から「あなたからオーラが出ていた。大したもんだよ」なんて言っていただいたこともありました。
※山本寛斎さん:日本を代表するファッションデザイナー。加茂さんが東京で海鮮丼を作っていた際、週5で通ってくれていた常連さん。今も守り神のように感じているそう。
親として、家長として、選んだのは唐津で生きる未来でした
-- 出身地の唐津市へ、20年ぶりのUターン移住。移住を決意したきっかけは何でしょうか。
加茂:転機は3つあって、ひとつめは、海街丼のオーナーから暖簾分けの話があったこと。ふたつめは小学校3年生になる娘を自然いっぱいの環境の中で育てたかったことです。私は唐津の出身。妻は三宅島という小さな島の出身。どちらも海と山に囲まれた風景の中で育ちましたが、夫婦が出会い結婚して、子育てをしていたのは大都会の東京です。
-- 都会では得られない学びがあったということでしょうか。
加茂:娘は星が好きなんです。唐津の夜はプラネタリウムより綺麗に星が見えます。砂浜を歩くと波の音が心地いいですし、潮が引くと、カニが歩いている。無数に空いた小さな穴はカニの巣だね。そんな会話は自然の中に身をおいているからできることだと思います。田舎には何もないと言う人もいるけれど、その中で創意工夫して自分で楽しみを見つけるような暮らしを家族でしていきたいと、妻と話していました。
-- 移住しようと最初に伝えた時に、娘さんの反応はどうでしたか。反対されましたよね?
加茂:仲良しの友だちと離れることになりますから、最初は「絶対に嫌だ」と泣きました。でもこの移住を「我慢させられた」という嫌な記憶にさせたくはなくて、何度も話し合いを重ねました。都会の暮らしだけでなく、自然の中の暮らしを体験してほしい。きっと大人になったとき、可能性や選択肢は広がるから。そういうことをしっかり伝えることができたと思います。
-- 小学校3年生、いわゆる転校ですが、すぐに馴染めたようですか?
加茂:登校初日から新しいクラスメートと手を繋いで歩いていたようです。我が子ながら、そんなに順応性があったんだとビックリしました。私も妻も、人見知りですから。
-- バンドマンなのに?
加茂:バンドやってる人なんてほとんど人見知りですよ!(個人の感想です)
-- もうひとつの、移住のきっかけを教えてください。
加茂:一昨年、祖父の49回忌がありました。法要の中でも大きな区切りになる日を両親がすべて手配して、滞りなく務めたんですね。その背中を見て「あぁ次は自分の番だな」と。僕は加茂家の長男なので、家族の歴史を次の世代に繋いでいく。その役割を今日ここで受け取ったんだという感覚がストンとおりてきて。唐津に帰る。Uターン移住する。そこに向け具体的な行動を始めました。まずはオーナーに「あの暖簾分けの話、まだ生きてますか?」「唐津でもアリですか?」と聞きに行きましたね。
サガカケ(佐賀県移住起業サポートネットワーク)と繋がって移住への熱量が高まりました
-- 佐賀県への移住にあたっては、どんな制度、情報源を活用されましたか。
加茂:まず、ふるさと回帰支援センター(※)にある『さが移住サポートデスク』に電話しました。「今日相談できますか」と聞いたら「できますよ」と即答してくださって、東京から佐賀県にUターン移住するとしたら…使える制度、補助金はどんなものがあるのかを幅広く教えていただきました。
※ふるさと回帰支援センター:東京有楽町にある移住相談窓口。佐賀県はもちろん日本全国自治体の相談員が常駐していて、いつでも気軽に相談できる。
-- まずそこで、移住に有利な情報が一揃いですね。
加茂:次に佐賀県の『よろず支援拠点』に連絡して、唐津での起業についてオンラインで色々相談させていただきました。
※よろず支援拠点:中小企業や小規模事業者を支援する経営相談所。日本全国に設置されており、起業に向けた様々なサポートもしてくれる。
-- 27年ぶりの唐津、佐賀。ビジネスの感覚はわかりませんものね。
加茂:もし唐津で飲食店を経営していくとしたら。唐津の住人はランチ一食にどれくらいのお金をかけるのか、駅前通りの人通りはどれくらいあるのか。家族3人で、食っていけるのだろうか。「これくらいかな?」と想像していたことと、現実にはそうではないこと。そのすり合わせができて参考になりました。それに加えて『サガカケ』(※)にもすごくお世話になりましたね。
※『サガカケ』:正式名称は佐賀県移住起業サポートネットワーク。佐賀県が2023年から取り組んでいる「移住×起業」のサポート制度。佐賀県各地の起業家、事業者が「サポーター」として、これから佐賀県で挑戦していく人を支援してくれる。
公式note:https://note.com/saga_iju_kigyo
YouTube:https://www.youtube.com/@sagakake
-- 『サガカケ』では、どんなサポートがあったのでしょうか。
加茂:まず、『サガカケ』のサポーターが登壇する東京でのセミナーに参加しました。実際に佐賀に移住して、起業している方からどういう規模感でされているのか、どんな苦労があるのか、経験に基づくリアルな話を聞くことができたのが良かったです。サポーターの中には偶然同い年の方が3人いて、唐津よりもっともっと小さな、離島の町で活躍されている方もいらっしゃいました。それなら自分もできそうだ、可能性は十分あるぞという気持ちになれたのは大きかったですね。
-- 移住前に、移住の仲間、起業の仲間と繋がれたのは心強いですね。
加茂:『サガカケ』のサポーターには、漁港さん、漁協さん、養殖業者さん、唐津焼の窯元さんなどいろいろと紹介してもらいました。せっかく唐津なのだから、理想を言えば地元の魚をフルに活用したいですし、器もできるだけ唐津焼を使っていきたい。
-- 移住者がゼロから人脈を作るのは大変ですものね。スタートダッシュを決められるのは、ありがたいですね。
加茂:ギアを一段、上げてくださった気がします。『サガカケ』サポーターのみなさんは、開店祝いをしようと言ってくれたり、プライベートでも何度もご来店いただいたり。つながりができた、というのが何より嬉しいです。
-- あったかいですね〜佐賀県!
加茂:もちろん、地元の唐津市役所の方々にも大変よくしていただきました。唐津市の市報に掲載していただくお話になり、唐津市の多くの方にお店の事を広く知っていただくきっかけができました。とても親切に寄り添ってくださいましたね。
もとからいる人と新しく来た人の想いをつないでいくことに貢献したい
-- 最後にですね、移住してよかったこと。それと、これから挑戦したいことをお聞きしたいです。
加茂:まず事業主として独立したので、そこの充実感が違います。東京時代は雇われていたので、何かよくない状況になっても、言い逃れ、責任逃れができた。でも今はすべてが自己責任ですから。お客さま一人ひとりを大事にすること、一つひとつ作業を丁寧にすること。積み重ねが大切なんだということを実感しています。実はコロナの時期に一度、お店を解雇された経験もあるんですよ。だから、逆に雇われている方が保証がないのではないかという風にも思っていて、自分でハンドルを握っている今の方が、好きですね。
-- 生活の面では、好きな時間はありますか。
加茂:娘と毎朝一緒に家を出て、神社まで歩いてそこで別れて、自分は神様にお参りをしてからお店に向かうというのがルーティンになっています。田舎暮らしだと歩く機会が減ると言われていますが、自分はそういうルーティンができて良かったです。漁港まで買い付けに行く際も、車で30分はかかる道のりなんですけど、景色がいい中でのドライブなので気分転換になって大切な時間です。日々のストレス、苦労というものは本当になくなりました。
-- では挑戦したいことの方も教えてください。
加茂:正直、唐津の駅前は、東京に出ていく前と比べると閑散としていてちょっと歯がゆく感じています。もっとおもしろくて、魅力的な街のはずなのにそこは残念です。でも、点で見れば想いを持って頑張っている人は少なくありません。難しいのは、唐津にもとからいる人と、唐津に希望を持って移住してきてくれた人との間に、接点があまりないことなんじゃないかなと。
-- 唐津出身で、移住者でもある。加茂さんの役割は大切かもしれませんね。
加茂:ポテンシャルの高い点と点をつないで線にしていく、その過渡期に貢献していければという責任感はあります。駅前のこのお店、すごく立地がいいんです。何かあれば、ここに集まれる。はじめて唐津に来た人も、唐津のことを気軽に聞けるし話せる。唐津に来れば、必ず会える。僕自身もそういう場所になれればと思いますし、そういう場所が他にも増えていくといいですね。
-- 加茂さんには音楽という表現もありますね。
加茂:今度、唐津駅前で佐賀県の地酒のイベントがあるんですよ。そこに海鮮丼唐津店も出店する予定ですし、ライブで歌うことにもなりました。
-- 丼を作って歌って、大忙しですね。
加茂:少し前に厳木駅でのイベントに旧友が誘ってくれてそこでも歌いましたし、引き続き音楽と飲食の両立をしていきます。食べに来ていただきたいですし、聴きに来てもいただけたら嬉しいです。
-- 加茂さん、本日はありがとうございました!
インタビューを終えて
移住って、するまでが移住なのではなくて、した後からが移住なんだなと。当たり前のことなんですがそれを改めて感じたインタビューでした。ライター自身も移住者ですが、やはり助けてくれる誰かと出会ってから、物事が大きく動き出した実感があります。逆にいうと、出会いが足りないまま、もんもんとした時間を過ごす移住者も、いるといえばいるであろうわけで…。
そういう意味では、『サガカケ』というネットワークはとても優しいなと思います。まず、仲良く話せる誰かがいるということ。同じ悩みや苦労を、すでに経験した誰かがいること。心強いはずです。これから佐賀に移住を検討している方。そして、起業を志している方。ぜひですね、『サガカケ』を活用いただくことをオススメいたします。佐賀県は小さな県です。いい意味で。きっとここから、必要としている出会いにつながることと思います。
文章:いわたてただすけ
写真:川浪勇太