同世代の仲間がいるから、迷わず移住しました。

村元 奈津 さん

村元 奈津 さん

東京都(熊本県出身)江北町

  • 移住種別Jターン
  • 移住の時期2014年
  • お仕事ディレクター

村元さんは、東京のウェブ制作会社に勤務して10年。会社も順調に業績伸ばし、村元さんも大きな案件を任せられるなど、ウェブディレクターとしてクライアントからも信頼を得て、忙しい日々を送っていたそうです。そんな村元さんに突然、人生を考える大きな出来事が起きました。佐賀県に移住を決めたきっかけや住み心地などを聞きました。

大病をして考えた自分の「生き方」

佐賀に移住する前は東京で働いていたそうですね。

大学卒業後、3年ほど地元・熊本で働いたんですけど、2000年頃はちょうどウェブが広がってきたころ。ものづくりが好きで、クリエイターへの憧れもありましたし、なんとなく東京に行きたいなという思いがありました。それから約10年間、ウェブディレクターとして企業のコーポレートサイトの立ち上げなどにかかわってきました。入社当時、社員は10人程度で、みんな家族のように仲がよくて、仕事はハードでしたけど面白かったですね。

移住しようと思ったきっかけはなんですか。

ちょうど仕事のやり方や力の抜き方などが分かり始めてきた32歳のときに、大病を患いました。やっぱり、この先、自分の命がどうなるか分からないというときには、「生き方」を考えますよね。元々、私は自然が好きで山登りも大好き。長年住んだ東京は大好きな場所になっていましたが、自然が豊かな九州方面に戻りたいなと思いました。

佐賀県江北町を選んだ理由は?

この体で「どんな仕事ができるかなあ」って考えたんです。1年半の休職後、総務部に復帰して、ウェブ制作ではなく社内の課題を解決する方法を考える仕事に面白さを感じました。「課題を解決する」という点は、会社も地域のことを同じなのでは?と思い、それで地域に関わる仕事をしたいと思うようになったんです。そんな時、東京・池袋で開催されていた「地域おこし協力隊」のフェアでたまたま江北町と出合いました。
自然豊かな町ということ、そして家具屋さん、パン屋さん、行政の職員さんなど江北町内に同世代の仲間がいたことが、「江北に行こう」という気持ちを後押ししてくれました。また担当者の方がよかったんですよね。面接は東京、採用が決まった後も、前職の都合ですぐは赴任できませんでしたが、「来れるようになってからでいいよ」と柔軟に対応してくれましたから、安心感がありました。

image_6483441_902_marked.jpg

なんでもある佐賀に感動!!

佐賀に対する印象は変わりましたか。

何も期待せずに来たんですよ。ところが佐賀に来て感動することがいっぱい!!食べ物はおいしいし、新鮮で安いし、好きではなかった日本酒やイカも、佐賀のお酒や呼子のイカを食べて好きになりました。バルーン、唐津くんち、有田焼…etc、佐賀にはなんでもある。私は佐賀が大好きになりました。
特に江北町は佐賀県の中心にあって県内どこに行くにも近い恵まれた地域です。コンパクトで動きやすくて、人ともつながりやすいちょうどいいサイズです。地域の方も明るくてさばさばしている人が多くて、居心地がいいなと思いました。佐賀空港も福岡も近くて便利だし、即、東京の友人たちに「すぐ遊びに来て」と言いましたよ。

暮らしはどうですか。

憧れの瓦屋根の一軒家と畑がある生活を送っています。同居人は猫3匹。畑にはトマトなど適当にタネをまいて収獲しているんですが、自分が作ったものを食べられるなんて最高ですよ。隣のおじちゃんが自分の家でできたキュウリをくれたり、〝佐賀あるある〟ですがタマネギやみかんもいただくことが多いですね。
町内では夜遅くまで仕事をしているという人は少ないですね。私もそれに合わせて働き方を変えて、仕事を早く切り上げて夕方は散歩をしたり、夜はゆっくり過ごし、休みの日には山登りを楽しんだりしてメリハリがある生活を送っています。

居心地のいい町で情報発信のお手伝い

地域おこし協力隊を退任後も佐賀に住み続ける理由は。

今はフリーランスのディレクターとして、2019年にオープンした「みんなの公園」(江北町)の運営に携わるなど、イベント企画や運営、フライヤーのデザイン、ウェブ制作などの仕事をしています。
佐賀は居心地がいいんですよね。魅力度ランキングが低いと言われることがありますが、それはただアピールしてこなかっただけなんじゃないかなあと。多分、佐賀が昔から豊かなところで、住んでいる人たちが満足しているから焦ってないだけだと思うんですよね。だから人も穏やかで温かいんだと思います。

image_6483441(1)_30907_marked.jpg

これからやりたいことは。

江北町は古くは長崎街道の宿場町としてにぎわい、炭鉱で栄えた歴史と文化が残る町です。建物が老朽化しているものもあり、古いものが消えてしまうのではという危機感を持つ町の人の声も届きます。今何とかしないといけない。昔ながらの景色が失われる前に、元々あるものに目を向けて、その歴史や文化を継承し、さらに江北町の情報発信のお手伝いができればと思っています。
それと、東京では電車で何時間もかけて山登りに行くのに、江北町には駅のそばに御岳山があります。自然がそばにあるって贅沢ですよね。おいしいものがあるし、おしゃれな場所も出てきているし、江北町はもっと魅力的な町になれると思っています。

移住を考えている方にアドバイスをお願いします

職場の人間関係に疲れたから「地方に」という方もいると思いますが、地方は人とかかわることが多いですよ。地区によっても雰囲気が違いますし、お試し移住ができるのであれば、そういうものを活用してみたらどうでしょうか。

image_6483441(1)_30360_marked.jpg

これが私のお気に入りショット

御岳山の前に広がる麦畑。初めて江北町に来たときに見た青々とした麦の穂が波打つ景色は、まるで輝くビロードのように美しく、とても感動しました。

みんなの公園

インタビューを終えて

佐賀県民はよく移住者に「何にもないのに、なんで佐賀?」と問いかけます。しかし、「近くに自然があって、食べ物がおいしくて、コンパクトで居心地がいい」という村元さんの言葉に、私たちが当たり前だと思っていたことが、そんなに魅力的なことなんだと、佐賀県を見直すきっかけになり、誇らしく感じました。佐賀の良さに気づいてくれた村元さんが「もっと魅力的な町になる。やりたいことがいっぱい」と目を輝かせる姿に、もっと村元さんのような新しい風がもっと佐賀に吹けば、どんな佐賀に変化していくんだろうか期待が膨らみました。

取材・文 峯岡浩子

公開日:2021年08月31日
インタビュー一覧に戻る
このページの上部へ